Fsmism

個人的なアウトプットを中心に

断捨離系のライフハックは「選択と集中」である

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ミニマリスト」「断捨離」「エッセンシャル思考」……

物質過多な今の時代、こういったワードが結構飛び交っていて、これに関連するおもしろそうな書籍もわんさか出ているが、これらの言葉、考え方の根本にあるものは一言で表すことができる。選択と集中」である。

もともとはビジネス用語であり、バブル経済のあとに流行った、会社の得意な分野に資本を集中させる戦略を指す言葉である。この考え方が言葉を変えて再び現れてるに過ぎないのだ。ミニマリストやエッセンシャル思考とはつまるところ、「選択と集中」をライフスタイルに当てはめただけである。自分の得意分野を明確にし、そこに資本(時間、能力、お金など)をつぎ込む。これがミニマリズムや断捨離系のライフハックの本質である。

だから物を減らすことは手段であって目的ではない。物を減らすことに固執してしまっては、ミニマリストが本来嫌うところの物質主義に囚われている。

そして当たり前なことに、「選択と集中」はトレードオフであることが多い。何かを集中するということは何かを諦めることであるが、諦めることは意外と難しい。自分が何を諦められるかを知るには、自分と向き合うことは不可避である。

 

選択と集中」は今の時代にも有効なキーワードである。物質情報過多な現代社会において、個々人が取捨選択するスキルは生きていくうえで必須のスキルだと考える。その方法論を発信していきたい。

 

 

「実名は信用できる」のウソ

「実名だから安心」はカモになる

 私はやぎぺー氏を結構応援している。『LIFE SHIFT』におけるエクスプローラー的な存在のロールモデルになりうるのではないか、と考えているからである。彼がこれからどのようなアクションをするのか結構楽しみにしている。(関連記事はこちらから)

しかし先日のこの記事は強烈な違和感を感じた。

趣旨としてはクレジットカードを選ぶ際に匿名のアフィリエイトサイトを避け、実名の知り合いのブログを参考にしたことを踏まえて、信頼性をどこに置くかという話である。

確かにこのケースではその信頼の置き方はあっているように感じる。しかしこのやり方を一般化するのは非常に危険な印象を持つ。

例えば実名で書いているブログ内で『ガンは自然治癒で治る!』みたいな本をおすすめしたとします。

それを信じてブログから購入した読者が、信じてガンを自然治癒で治そうとする。それで当然治るわけもなく、ガンが悪化してしまった。

この場合の責任はどこにあるでしょうか?

もちろん最終的な責任は判断した読者自身ですが、本をおすすめしていたブログ著者にも少なからず責任はあります。

その結果、ブログ著者は一生捨てられない名前に傷がつく。

実名で情報発信するということは、常にこういうリスクを背負っているということです。

 (上記ブログより引用)

確かにこのリスクはつきまとうため、実名ではあられもない情報発信をしない、という論理展開は理解できる。しかしこれは、リスクを踏まえた人間とリスクを知らない人間には当てはまらないという但し書きが必要である。

前者は例えば詐欺コインを主導する人間や一部でカリスマ的人気を集めようとする人間が挙げられる。彼らは実名(この場合実名か確認できる術はないが)で名前を出し、信者を囲い込みにし莫大な収益を挙げる。世の中の好感度などを気にせずとも、莫大なリターンを得ることができるため、リスクを踏まえてでもこのような行動ができる。(それゆえタチが悪い)

後者は例えばホメオパシーを推進する人間などが挙げられる。彼らは自分らの行いのリスクを知らないが、知らないからこそ堂々と行動する。無知ゆえに善良だと信じている行動で他者に害悪を振りまく。明らかな誤謬を含む情報を実名顔出しで堂々と振りまく事例なんて数えたらきりがない。

 

情報には2種類ある

私は情報には2種類あると思っている。「ソースを意識すべき情報」と「内容自体を意識すべき情報」である。前者は例えば法律や医療知識といった、専門性が問われてくるものは、情報自体で真偽を判断することは結構厳しいので、その発信元やエビデンスを慎重に踏まえる必要がある。ただの素人の知識と専門家の知識では明らかに後者の方が価値がある。(ただしその専門性はネット社会の普及によってハードルは下がってきてはいるが)

しかし後者、例えば人生訓とかちょっとした裏ワザといったものは、そのソースよりも情報自体に価値があると思っている。スーパーの値下げ情報にソースの確認なんて必要ない。ライフハックに実名はいらない。情報自体を各々が判断すれば良い。

 しかしどちらにせよ、情報自体を信じるかどうかは個人のリテラシーに寄るところが大きい。情報が氾濫する現代社会において、実名か否かといった基準での情報判断は一つの基準にはなり得ても、全面的な拠り所にすべきものとは思えない。信頼できるソースをどのように持つか。どのような判断基準で情報を取捨選択できるか。これらがこれからの世の中においてよりいっそう重要になるのは間違いない。

 

 

 

他人の意見を聞くときに一番重要なこと

他人の意見はどこから生まれるのか? 

世の中のライフテックのサイトやマネジメント本といったものを読む際に非常に重要なことが一つある。それらは個人的な体験・考えに基づいているということである。その体験はその人がリアルで体験したことでも、あるいはまた別の意見や読書といった形で間接的に得ているかもしれない。しかし重要なことは、それはその人が何らかの形で得たものであって、あなたのことについて当てはまるとは限らないということである。

特に成功者の意見はこういったものが非常に多い。「できる人は○○してる」とか、「◇◇してたら失敗する」とか。でもそれはその人わの体験の上で語り出していることにすぎない。

 

他人の意見と自分の意見を区別する

もちろん他人のアイデアは今までにない貴重な発見や、自分がこれからの人生において似たようなロールモデルとして参考になる点は多いと思う。でも他人の意見を聞くだけ聞いて、自分の中で咀嚼し、そして改めて自分の意見を出すようにしなくては何の意味もない。繰り返すが、他人の意見を鵜呑みにしてはいけない。それはあくまで他人の意見であって、あなたの意見ではない。自分で考えて、確固として意見を持つことが必要である。

 

私見を述べるなら、成功者の一つの意見より失敗者の集積した意見の方が価値のあることが多いのではないか。成功者の意見は多様化しやすい一方で、失敗は集積しやすいのが世の中の常である。ただ残念なことに、それらにクローズアップされることは多くない。

『LIFE SHIFT』から見たブロガー

『LIFE SHIFT』の簡単な要旨

 寿命の長命化によって従来の教育→仕事→引退という3ステージの人生設計が困難になってくる(引退の時間が長引く一方、年金が減少し、引退後の生活に十分な貯蓄を築けない)中で、1生涯のなかで転身やキャリアの中断をはさみながら、マルチステージに人生設計を行おう、というもの。

 その中で、金銭と言った有形資産とは別に、スキルや人的ネットワークといったものを無形資産として評価し、その投資を有形資産の形成とのバランスを取りながら行っていく必要がある。

 

 ブロガーをLIFE SHIFT的に解釈すると?

 上記のマルチステージの実現のために挙げられているのが、18-30歳代が将来の選択肢を熟考するために、道筋を固定せずに柔軟な期間を長時間続けることで、ネオテニー幼形成熟)を獲得するということ。若い年齢のうちに、変化に対応できるように、スキルやネットワーク、新しい知識といった開かれた姿勢などの無形資産の形成に力を注ぐのだが、これを実践している典型例がブロガーなのではないか?と読み終えたあと考えるようになった。

 彼らは就職によって将来をある程度固定することなく、自らのブログという資産を形成しベーシックインカムを得るのと同時に、その活動によって自らの評判と言った無形資産を作っている、と考えることができるのではないか?とこの本を読了したあとに強く思ったことである。

 新卒ブロガーという存在に対して批判している人とブロガーではそもそも人生設計が異なるのである。ブロガーの存在に対して批判的な姿勢を見せる人はマルチステージの人生プランをとっていることは少ない。(もちろんブロガーのここの活動に対する批判はまた別問題だが) これはYoutuberといった新興の他の職業にも言えるかもしれない。

 旧来の人生プランが立ちゆかなくなる中で、これからどのように生きていけばいいのか、という問題に回答できるロールモデルは存在しない。なぜなら、いまの後期高齢者は旧来の3ステージ型人生設計による引退者が殆どを占めるからである。

 長寿が普通になりつつある世代はまだ人生の序盤から中盤にしか存在しないため、どのような路線がモデルになるかがわからない。だからさまざまな実験することを推奨している。それをふまえると、アーリーアダプターが多いブロガーはこの本の新しい世代を体現している。

 

内省を込めたブロガー批判

 これまでブロガーを肯定的に捉えてきたが、懸念の一つとして考えられるのが「無形資産の投資を十分にできているか?」というものである。とくにサラリーマンに比べて人的ネットワークはコミニュティに所属していない分よりいっそう意識して取り組む必要がある。

 自分はインドアで、新しいコミュニティに飛び込むのを億劫がっていたが、この状態がいいわけがない。もっと積極的に参加する必要を痛感する。(そういえば複数のコミュニティに所属して流動性を高めるってことはphaの『持たない幸福論』でも言っていたな)

 わざわざ記事にしないからだろうけど、ブロガーの所属しているコミュニティってブロガー同士か地元かぐらいしか目につかない。自分で開いているサロンはコミニュティって言っていいのかわからない。

 

それにしても、『LIFE SHIFT』、これからの人生を考える上で必読と言える。

受験勉強から考える本質的な学習の必要性について

受験においてよく話題に登る問題として、「解法テクニックのたぐいの是非」である。例えば数学において、本質的な理解より直接点数に繋がるような解法やテクニックを教える/学ぶという姿勢や、歴史では、事項の暗記に留め、背景知識まで踏み込まないといったものである。これについて、自分の見解を考えてみる。

 

ひとつ言えることは、本質的な学習とテクニック的な学習は目的に応じたバランスが重要であるということである。どちらが正しくてどちらかが間違っていると言ったことは問題ではない。

 

例えば、暗記や受験テクニックといったもので合格できるようなレベルの試験に対して、本質的な勉強に時間を注ぐというのは、「試験に合格する」という目的から考えるとあまり合理的とは言えない。本質的な学習は時間の割に点数に直結しないことが多々生じるからである。

 

逆にレベルが上がるにつれて、テクニックと言った類いでは通用しないような問題が増え、過去問演習のみでは太刀打ち出来無いような問題も出てくる。そういった問題に直面した時に、本質的事項から考えていく姿勢が必要になってくる。

 

本質的な学習さえしていればテクニックや解法といったものの勉強は不要だという意見には同意しかねる。余程の天才を除いて、本質的な事項と問題の解決とのギャップを乗り越えられないことはしばしば生じる。原理原則を実際の問題に適用してみるにはその方法を一回見せてもらうことが必要になってくることも結構多い。

 

これは余談だが、テクニック→本質的学習が一種のアハ体験をもたらすこともままある。問題の解法を教わり、体得したあとにその背景にある本質を教わると、「こういう仕組みだったのか!」となる。逆に本質から学習しようとして挫折することも少なくない。ある問題を解決するという目的からかけ離れているように思ってしまうと、学習のモチベーションは上がらない。

 

 

 

こうしてみると受験勉強において教わったことは決して少なくないと思う。受験勉強には意味がないと言っている人は意味のあるように勉強できたの?と問いたい。

アウトプットの難しさについて(やるかやらないか。Do or do not. There's no try.)

最近実用書の読書や、ブログなどのオンラインメディアを積極的に受容していて、自分の中でインプットが充実つつあるのを感じる。feedlytwitterで巡回し、linerで線を引き保存する。紙媒体の本なら要約をメモしたり写メしたりする。図書館で興味が湧く本を借りる。自分の中でのネットや本の情報を消化するルーティンが構築されつつあり、情報を得るのが楽しくなりつつある。

 

翻ってアウトプットであるが、これはあまり芳しくない。受験勉強と異なり勉強をアウトプットする機会が非常に乏しく感じるのが実情である。アカデミックな内容ならまだしも、アイデアハックや実用書といったもののアウトプットができていないのはあまりよろこばしくない。自分は学生でありアウトプットする機会に恵まれていないというのは所詮言い訳に過ぎない。かといってブログに書くことも考えたが、要約を書くことにあまり意義を感じない。所詮ハイライトやメモしたことをただ書き写すだけになってしまうからだ。書かれている内容をしっかり理解できているか確認するテストみたいなのも考えてみたものの、書かれていることを理解することは実用書において本質的とはとても言い難い。

 

イデアより実行力が重要とはよく言ったもので、結局のところ「やるかやらないか」が1番の問題のようである。ライフハックやアイデアハックの本や記事で語られる内容は本質的に似通っている部分が非常に多い。その本にしか書かれていない斬新なアイデアは稀で、本質的に同じことを表現を変えて述べていることが非常に多い。方法論にオリジナリティはあっても、それが志向するものは同じである場合が多い。これは考えてみれば当たり前かもしれない。

 

問題は、そこでよく語られていることを自分が実践し、結果を出すことである。運動が重要であることを認識している人と、実際に運動をする人には大きなギャップがある。何か目的を達成するための行動は往々にして地味でかつ辛いものであり、時間がかかることが多い。投資におけるリスクとリターンと似たものを感じる。短時間の努力で大きなリターンを得るのは非常に難しいように感じる。

 

どれだけ生き方やアイデアハックを学んだところで、それを実践し、役立たねば意味がない。じゃ、どのように活かせばいい?結局のところ1番の課題は自分が何をしたいのかがしっかり把握できていないことのように感じる。これは読書ではなく自問自答で解決するしかない。

 

しかし、上記の結論が得られたのもこうしてブログという形でアウトプットしたからであり、それを考えてみるとこのブログによって学んだことを考えとともにアウトプットするのも悪くないかもしれないと感じつつある。

 

 

 

Webページに簡単にマーカー引けて保存できるiPhoneアプリ「 LINER」

私は基本的にipadでウェブを閲覧しているのだが、この記事いいなと思ってEVERNOTEで保存してもなかなか見返すことがないことに気づいた。EVERNOTEは見返すのに結構手間がかかるし、最初読んだ時にどこに注目していたのかがぱっと見ではわからない。(個人的にEVERNOTEは機能が多すぎて逆に使いづらい)

 

何かいいアプリないかと探していたらうってつけのアプリがあった。LINERである。ウェブページにマーカー引けて保存し、見出しではハイライト部分のみ表示する、ただそれだけのアプリである。だがシンプルな機能ゆえ動作は軽快。イメージとしてはkindleのハイライト機能のウェブ版と言ったらわかりやすいかもしれない。

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いまは多分出たばかりなのでプレミアム機能も自由に使える(どの機能がプレミアムなのかわからないけど)。かりに有料化されたとしても即購入するだろうな。

調べてみるとios版しかないようだな。アンドロイドユーザーは残念。

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