Fsmism

個人的なアウトプットを中心に

受験勉強から考える本質的な学習の必要性について

受験においてよく話題に登る問題として、「解法テクニックのたぐいの是非」である。例えば数学において、本質的な理解より直接点数に繋がるような解法やテクニックを教える/学ぶという姿勢や、歴史では、事項の暗記に留め、背景知識まで踏み込まないといったものである。これについて、自分の見解を考えてみる。

 

ひとつ言えることは、本質的な学習とテクニック的な学習は目的に応じたバランスが重要であるということである。どちらが正しくてどちらかが間違っていると言ったことは問題ではない。

 

例えば、暗記や受験テクニックといったもので合格できるようなレベルの試験に対して、本質的な勉強に時間を注ぐというのは、「試験に合格する」という目的から考えるとあまり合理的とは言えない。本質的な学習は時間の割に点数に直結しないことが多々生じるからである。

 

逆にレベルが上がるにつれて、テクニックと言った類いでは通用しないような問題が増え、過去問演習のみでは太刀打ち出来無いような問題も出てくる。そういった問題に直面した時に、本質的事項から考えていく姿勢が必要になってくる。

 

本質的な学習さえしていればテクニックや解法といったものの勉強は不要だという意見には同意しかねる。余程の天才を除いて、本質的な事項と問題の解決とのギャップを乗り越えられないことはしばしば生じる。原理原則を実際の問題に適用してみるにはその方法を一回見せてもらうことが必要になってくることも結構多い。

 

これは余談だが、テクニック→本質的学習が一種のアハ体験をもたらすこともままある。問題の解法を教わり、体得したあとにその背景にある本質を教わると、「こういう仕組みだったのか!」となる。逆に本質から学習しようとして挫折することも少なくない。ある問題を解決するという目的からかけ離れているように思ってしまうと、学習のモチベーションは上がらない。

 

 

 

こうしてみると受験勉強において教わったことは決して少なくないと思う。受験勉強には意味がないと言っている人は意味のあるように勉強できたの?と問いたい。